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 2004
奄美諸島への旅(7〜8月)

・名瀬市にて
・請島にて
・与路島にて
・加計呂麻島にて
・国直にて
・再び名瀬市にて
・旅を終えて

奄美諸島への旅(2004年7〜8月)

名瀬市にて(1)

■奄美へ

 7月24日(土) 朝起きて空を見上げると、おおむね晴れの天気。今日から奄美への旅だ。京急の羽田空港直通の特急に乗り羽田空港に到着。奄美行きの飛行機は、ターミナルから飛行機までバスで向かう。広い空港の中を大型旅客機の間をぬうようにバスが走り、その中でもひときわ小さい飛行機が目に入ってきた。マクダネル・ダグラス社のMD-81。飛行機に上がるタラップも一人分の幅しかない。羽田=石垣島間を飛ぶボーイング737よりも一回り小さくて、客席も3列+2列しかない。こんな小さい飛行機に乗るのは久しぶりだ

 奄美大島は今回がはじめてだ。奄美大島に行くと、ある友人に話したら「ずいぶんと中途半端なところに行くね」と言われた。確かに、沖縄と屋久島が注目を集めている今、その中間にあって、あまり注目を集めているとは言いがたい奄美大島は、確かに中途半端と言えなくもない。しかし、私が奄美を選んだ理由はまさにそこだった。開発や観光化が進んだ沖縄よりも、奄美は手つかずの自然が残されているという話を聞き、次は絶対に奄美に行こう、注目を集める前に行っておこうという気持ちがつのった。今回の旅の予定は14泊15日。初めてというわりには、その日程が長い。行き慣れた島だったら日程がどんなに長くても不安になることはないし、片道切符の永久追放=島流しでも喜んでOKみたいな感じなのだが、初めての場所というのはどうしても何らかの不安が付きまとう。正直言って、行く日が近づくにつれて「行ってみて肌に合わなかったらどうしよう」という変な心配も出てきたのだが、まぁ、何とかなるだろう。

■JAL1953便

 羽田空港を朝9時丁度に出発するJAL便は、満員の乗客を乗せて、ちょっと遅れて滑走路を離陸した。ただし奄美地方は雷雲が発生していて、場合によっては鹿児島空港か福岡空港に向かう場合もあると言う条件付の離陸だった。こういった条件付きのフライトは何回か経験したが、目的地に着かなかったことはない。飛行機は曇りがちの空の上を飛び、ほとんど揺れることもなく奄美大島に近づいた。高度を下げた飛行機の窓から外をのぞくと、雲の合間から観光ガイドブックの地図で見慣れた奄美大島北部の島影が見えてくる。隕石の衝突でできたとされる笠利湾のクレーターもハッキリとわかる。

 奄美空港にはだいたい定刻の11時10分頃に到着。預けていた手荷物を受け取って、予約していた11:35発の観光バスに乗ることに。私は時間に拘束されない気ままな旅が好きだけど、観光バスの旅も嫌いではない。とりあえず観光のポイントは効率的に周ってくれるし、その土地の言葉が混じったガイドさんの話を聞くのも観光バスの醍醐味だ。初めての土地に行くとき、私は観光バスを積極的に利用するようにしている。バスガイドさんにうながされてバスに向かう。空港ターミナルビルの自動ドアが開くと、奄美の空気が体に触れる。ちょっと涼しい。東京の気温は39.5℃を記録した7月20日を頂点に、めちゃくちゃな猛暑が続いていたけれど、奄美地方は夏の最高気温は32〜3℃位らしい。バスガイドさんに聞いたら、今朝の奄美は豪雨が降ったらしく、平年よりもかなり気温は低めとのことだった。見上げると、雨の余韻のように、空は曇っている。

■鶏飯

 さて、この観光バス、私のほかのお客は空港から予約ナシで乗ってきた3人連れの家族だけ。奄美はあまり観光地化されていないとはいえ、これでは少しさびしい。バスはまず地元系リゾートホテルの「ばしゃ山村」で昼食休憩をとる。とりあえず、奄美といえば「鶏飯」だ。まずはこれを注文しなければなるまい。窓際の席に座って砂浜を眺めていたら、オーダーした鶏飯が目の前に届いた。「鶏飯の食べ方はご存知ですか?」、若いウェイターがそう尋ねた。いちおう予備知識で知っていたつもりだったけど、そこは謙虚に食べ方を教えてもらうことにした。鶏飯は、一言でいうと、鳥のスープで食べる「お茶漬け」だと思えば間違いない。ご飯の上に、鶏肉、しいたけ、錦糸玉子、パパイヤ漬け、海苔などを乗せ、そこに鳥のスープをかけて食べるのだが、・・・うん、これは美味い。もともと私は、ラーメンのスープでも鶏ガラ系が好きなんだけど、この鶏飯も好物になりそうだ。とりあえず腹ごしらえしたところで、発車までの時間、ばしゃ山村前の砂浜を歩くことにした。藁葺きのコテージもある砂浜はとても綺麗に整えられているけど、やはり海岸では太陽が出ていないと絵にならない。晴れたら奇麗なんだろうけどなぁ、と思いつつ観光バスに戻って発車オーライ、次の目的地である奄美パークに向かう。


■田中一村との出会い

 バスは旧・奄美空港の跡地にできた「奄美パーク」に到着した。さすがに空港跡地にできた総合観光施設だけあって敷地も建物もでかい。中には奄美の自然や文化を紹介する「奄美の郷」があり、最近注目が集まっている孤高の日本画家・田中一村記念美術館も併設されている。両方入館できる共通入場券400円を買って先に「奄美の郷」に入るが、正直言って・・・・見るべきものが少ない。ビジュアル的に見せようとする工夫をしているのかもしれないが、さささっと眺めて終わりという感じ。観光バスの発車時間まで限られているので、奄美パークのドーム型の建物を出て、早足に田中一村記念美術館へ向かう。美術館に入り、冷房の効いた通路を歩いていると奄美の風景写真を展示しているスペースがあった。この美術館の一室は一般にも開放して貸し出ししているらしいのだが、私が行ったその日は奄美の自然を写し続けている浜田太氏のオリジナル・プリントを展示していたのだ。アマチュアとはいえ写真を志すものとして、これは見ておかねばなるまい。

 浜田太氏の写真に接するのは初めてだが、これはスゴイ。さすがは地元に根ざして、写真を撮り続けているカメラマンだけあって、観光客が一朝一夕で写せそうな写真は一枚もない。豊かな諧調で描き出される海や山、生命感あふれる原生林、特別天然記念物のアマミノクロウサギなど、いずれも素晴らしい作品である。私の腕では簡単には真似できそうもないが、写真の技術を向上させる一番の方法は、いい写真を見て感動することだろう。いずれ私もこのように人を感動させる写真を撮れるようになりたいものだと思う。

 さて、本題の田中一村である。残念ながら絵の知識に乏しい私は、奄美の観光ガイドブックを見るまで田中一村のことは知らなかった。なおかつ、観光ガイドを読んでも、・・・というか絵に関する記事は読み飛ばしてしまうくらいなのだ。したがって田中一村に対する期待もほとんどなかったんだけど、この美術館の展示作品を見て認識が一変した。日本画のモチーフとしては見たことのないような素材、すなわちアダンやソテツ、ヒカゲヘゴなどの熱帯植物、熱帯特有の色彩感の魚たち、崖の上で凛としたアカショウビンの姿。これらが日本画特有の丹念な筆致で描かれている。その絵が醸し出す鮮烈な生命感たるや、私は他に例を知らない。

 田中一村は、幼少時から絵の天才として嘱望されていたが、あるきっかけで日本画壇に別れを告げ、1958年、50歳のときに単身で奄美に渡り、そこで赤貧の生活を続けながら自らが納得するためだけに絵を描き続け、1977年に没した。その後、彼の一途な生涯と、残された作品が話題を呼び、NHKで全国放送されてから世に知られるようになったらしい。一村は幼い時から病弱だったゆえに、南国奄美の生命感に憧れたのだろう、そこを終の棲家に決めた。そこで描かれた絵の精密な筆致は、まるで「夕鶴」のつうが自らの羽を織るかのように、一村は一筆々々に生命を刻み込んだのかもしれない。絵を前に、しばらく動けなくなってしまった。もうしばらくこの美術館にいたかったが、今回の旅の行程は長い。ここにはもう一度来ようと思い、バスに戻った。

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