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Album

 2004
奄美諸島への旅(7〜8月)

・名瀬市にて
・請島にて
・与路島にて
・加計呂麻島にて
・国直にて
・再び名瀬市にて
・旅を終えて

奄美諸島への旅(2004年7〜8月)

名瀬市にて(2)

■大島紬

 バスは、あやまる岬、大島紬村、浜千鳥館を周る。あやまる岬は、「綾」で織った「毬」のように美しい「岬」という由来の岬だが、残念ながら曇り空では今ひとつ。大島紬村はは、その名の通り奄美大島伝統の大島紬の製造工程をすべて見学することができる。漠然とは知ってはいたけど、その工程は気の遠くなるような緻密さが要求される。やっぱり紬の値段が高いのには、それなりのワケがあるのである。浜千鳥館、奄美群島にだけ製造が許可されている黒糖焼酎の製造工程が見られると思っていたのだが、この時期は製造していないとのことで見学はなく、焼酎の試飲のみ。観光バスでの見学も終わって、バスは一路、奄美の中心地、名瀬に向かう。バスターミナルに到着したら、時間は午後5時前。すぐに宿泊先の素泊まり民宿「たつや旅館」にチェックイン。夜はバスガイドさんからオススメのあった「吟亭」で、島料理と奄美の島唄を楽しむことにした。

■吟亭でシマ唄

 7時半頃にこの店の暖簾をくぐり、カウンターに座って黒糖焼酎と料理のコースを注文した。この店のおかみさんが島唄歌手で、カウンターにはCDが並んである。島唄の時間になるまで待つと、8時20分過ぎ、カウンターで隣に座っていたおじぃが、おもむろに三線のケースを開け、おかみさんとともにステージに上がって島唄の時間がスタート。正直、奄美のシマ口(奄美の方言)だと、歌詞の意味はぜんぜん分からないのだが、メロディが沖縄民謡と比べるともの悲しい感じの唄が多い。これはあとから聞いた話だけど、奄美は琉球や薩摩に支配された歴史が長く、その過酷な生活ゆえの旋律なのではないかと言われている。それでもやっぱり民謡酒場だ。最後は祭りの曲で、地元のお客さんとともに輪になって踊って、おおいに盛り上がった。

 島唄の時間が終わって、三線のおじぃと話をすると、・・・凄い。齢八十才を過ぎて、あのバチ捌き、弦を押さえる左手の指の速さ。びっくり。最近になってヴァイオリンのヴィブラートの技法も取り入れて、常に新しい奏法を工夫しようと言う意欲にも感心した。使っている三線を持たせてもらったら、凄く重い。聞いたら八重山黒檀を使った最高級の棹らしい。その一方、皮はニシキヘビの本皮ではなく、合成皮革とのこと。当人曰く、本皮は音が柔らかくていいけど、破けることが多いので、現在は合成皮革を使っているらしい。なんか、せっかく良い棹を使っているのにもったいないなぁ・・・とも思ったけど、石垣島の野原三線店のおじぃも、10万円くらいまでだったら合成のほうが良いよと言っていたのを思い出した。

■三線

 さて、奄美の三線には沖縄の「工工四」に相当する楽譜が存在しない。独自の楽譜を使っている奏者もいるらしいけど、奄美全体で共通の楽譜は存在せず、もっぱら口述伝承みたいな形で島唄が伝わってきたらしい。そのため、同じ題名の曲でも集落ごとで演奏が大きく違うとのことで、これも奄美の島唄の面白さなのかもしれない。ただし、島の外の人にとっては、敷居の高い音楽であることは間違いない。  ちなみに三線そのものは沖縄のものと全く同じで、例えばB-E-Bという3本弦の音程の関係も沖縄と同じ。しかし、弦が沖縄のものよりも細く、音程も高く調律されている。試しに「安里屋ゆんた」と「十九の春」を弾かせて頂いた。ピッチは高くてちょっと違和感があるけど、さすが八重山黒檀の棹である。すごく良い音だ。三線のこと、民謡のこと、奄美のこと、いろんな話しを終えて店を出たら午後11時半。店に入って、あっという間の4時間だった。

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