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Album 2004 奄美諸島への旅(7〜8月) ・名瀬市にて ・請島にて ・与路島にて ・加計呂麻島にて ・国直にて ・再び名瀬市にて ・旅を終えて |
奄美諸島への旅(2004年7〜8月) 与路島にて(1) |
■再び「せとなみ」で 7月30日、午後4時過ぎに池地港をでた船は、次の目的地・与路島に向かって出港した。港の堤防を出て、外洋から見る請島・与路島は、いずれも険しい岩肌が連なっている。その急峻な斜面がそのまま海に落ち込んでいて、激しい波が打ちつけている。人を寄せ付けない雰囲気だ。途中、携帯電話の受信状況を確認してみた。auの携帯電話は「圏外」の表示である。携帯電話会社は、通話エリアの人口カバー率を99.9%以上みたいに宣伝することがあるけれど、ここはまぎれもなく残り0.1%のエリアなのだ。 |
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■一抹の不安を抱きつつ 船の窓は、砂浜が美しいことで知られる無人の島、ハンミャ島の景色も映しつつ、出港後、約20分で与路港に入港した。港の後ろには家が並び、屋根や石垣がすでに傾き始めた太陽に照らされているけど、その両側、後ろの三方は急峻な山がひかえている。港の待合室はとても新しく、最近になって離島振興事業の一環として完成したものらしい。さて、ここから民宿にどうやっていったら良いのかわからない。待合室に地図があって「民宿徳永」の名前を見つけた。そこが予約した民宿だ。ただ、心配だったのは、池地で船が出る前に民宿徳永に電話をしたのだが、留守電になっていたことである。もしかしたら忘れられていないか・・・一抹の不安を感じていた。とはいっても、とりあえず宿に行くほかない。待合所の職員に「民宿徳永はここから歩いてどのくらいですか?」と聞いてみた。そうしたら「徳永さん?そしたら、あのトラクターの所にすわっとる小柄なおじいさんだよ」との答えが。うん、たしかにいる。おじーに声をかけてみたら、「あー、先に歩いて行っといてよ、後からいくから」・・・・、どうやら私を迎えに来たわけではないようだ。いずれにしても、宿が実在し、その宿に人がいるということがわかって一安心。キャスターつきのバッグを引きつつ、宿を目指して歩き始めた。 |
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■島の家並み ところが・・・・、どの家も表札がない。わからない。確かに島人にとっては、お互いを知り尽くした小さな集落である。表札などは不要なのだろうが、この島の東西南北もわからない私には、同じような珊瑚を積み上げた石垣の壁が並ぶ集落は方向感覚を失わせる。だいたいこのあたりだろう、と見当をつけて歩いていたら、ある家のおばぁと目が合った。尋ねたら「徳永さんは一本先の道だよ」と指差した。やっと見つかった。 徳永さんの家は、木造の平屋建てである。古さは目立つものの、柱や梁はものすごく太い。さぞ、棟上げのときは大変だったろう。「昔はみんな山から木を切り出してきて、自分たちで作ったんだよ」、おばぁは自慢げにそう言った。私が寝る部屋は、その家の居間である。掛軸や人形などが飾っているふつうの部屋で、民宿経営のための客の部屋などは用意されていない。まぁ、これが民宿本来の姿なのかもしれないが、私はこういう民宿に泊まるのははじめてである。そして、もちろん冷房などはない。これは予約段階から「冷房はないよ、扇風機があるよ」と聞かされていたので、戸惑うことはなかったのだが、いまや冷房ナシでは過ごせないカラダになっている私、耐えられるかどうか心配だったが、結論的に言うとそれは杞憂だった。風通しがいい昔ながらの家は、ホントに涼しい。少なくとも東京よりも涼しいのは間違いない。 |
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■島の一日 「ここは一泊?明日の船は7時と4時だよ」とおばぁが言った。私は2泊して、日曜日(8月1日)の夕方3時の船で帰るつもりだったのだが、どうやら船の時刻が夏休みとともに変わったらしい。変更後の船の時間だと、後の日程に差し支える。やむなく予定を変更して、この島は一泊のみ、そして明日(7月31日)の夕方の船で帰ることにした。それまでの24時間をどうやって過ごそうか。おばぁは「この島は小さいから一時間もあれば見るものないよ」みたいに言ったが、私はこの島の一日のうつりかわりが見たかった。道で出会う人との話をしたかった。そのためには24時間という時間は、必要最低限の時間である。 私はとりあえず夕刻の家並みを見て周り、ついでに港の待合所にある公衆電話をかけにいった。与路島滞在が一泊になったので、次の宿を予約するための電話をするためだけど、こういうとき携帯電話が使えないとすごく不便だ。待合所に行くと同じ船に乗って与路島に着いたバックパッカー風の2人連れが困ったような表情で私に話しかけてきた。「この島で泊まれる民宿、知りませんか?」、どうやら宿の予約なしでこの島に来たのはいいが、どの民宿に電話をしても留守だったりして、宿が見つからないらしい。「私は徳永に泊まってますけど、そこは一組しか泊まれないと思いますよ」と答えるのが精一杯。カップルは、しばらく電話をかけ続けていたけれど、諦めたのか、それとも目処がついたのか、夕陽が沈む集落の方向に方向に向かって歩いていった。こういう観光化されていない小さな島の場合、突然来て、宿に泊まれるとは限らない。客の食材だって、昼のうちに海で採っておかなければならないのだ。 港から電話で次の宿を確保して、徳永さんの家に戻る。夕食には島で採れた魚や野菜の料理を頂いた。ちょっと量が多すぎるけど、素朴で素材の持ち味を生かした料理は美味しい。そして、おばぁが「もう寝るよ」と言った時間は午後9時前。島人みんな、こんなに早く就寝するんだろうか?それともお年寄りだから?その理由はわからないが、私もしばらくして床に入った。その夜は月がとても美しかった。月明かりで、本が読めるほどの明るさである。寝床に入りながら、美しい月を眺めていると、眠れなくなってしまった。 |
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